ニッポンたのしい。

楽しそうなことを求めて日々右往左往するさまを無様に綴ります。

永遠に新宿のバーを飛ぶ

見上げると、大きな鳥が飛んでいました。その白い鳥は、ビルの狭間の手狭な夜空を飛んでいました。煌々と照らされるのがうっとおしくはあるけれど、それでも飛ぶのは新宿の空でした。その白い大きな鳥には決まった寝床はなく、方々の街の灯りの上を飛び、時折そのうちのどこかへ舞い降りて夜を明かしました。

 

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ひときわ明るい新宿のひときわ高いを巻くように飛び、アルタ前の人だかりをみて左に回り、伊勢丹の上、三丁目の高層ホテルのはるか上を飛んだところでまた左に回り、ビルの谷間の花園神社の暗がりの奥、窪んだ明るみの中の建物と建物の間に降りました。

 

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人がぎりぎり入れる程度の細長い扉の中から、下手なカラオケと笑い声と手をたたく音がします。前後を酔っぱらった男女が通り、大声で奇声を発したり、甘えた声を出す女の声が通り過ぎていきました。改めて上を見上げると、ぼんやりと明るい空には誰も飛んではいませんでした。こんな空を飛ぶのは変わり者だけのようでした。

 

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表に出て、一階の店の様子を伺いながら前後の通りを歩きました。金曜の夜とあってか、どのお店も人でいっぱおでした。「ワーオー!」「ずいぶんぶりじゃん!」「げんきー?」常連同士で盛り上がる会話が聞こえました。二階の店を見ました。窓が開いている何件かの店の中から人の声はするけれど、どうやら空いているようでした。ぽい、その細い、黄色く塗られた階段の前に立ちました。 

 

「いらっしゃーい」

「空いてますか?」

「空いてますよー。お席こちらどうぞー」

「今日は妙にあったかいですね。もう春みたいな陽気で」

「いや、ホントに」

「ビール、いただけますか」

「はーい。少々お待ちくださいねー」

 

店内はバーカウンターと止まり木。その向こうにソファーとテーブルが一対置かれていました。ビールを片手に常連らしき男女が止まり木に腰かけていました。

 

「いまおすすめなのは、本谷由紀子よ」

「だれ、それ」

「劇作家なんだけど、すごくいいの」

「そうなんだ」

「あ、今ちょうどこのお店に本谷由紀子ありますよ。たしか、『生きてるだけで、愛。』が、ほら、ここに、はい」

「鬱でメンヘラでアルチューの女の子の一人称独白体よ」

「へー。すっごいピンクの表装。私小説っぽい感じ?」

「多分」

「おまえ、太宰すきだもんなー。デカダンっていうんだっけ、ああいうの」

「まあ、そうね。でも、そういうのは読んでから言いなよ。全然読もうとしないじゃない」

「えー、本なんか読まなくても、ここで単純にお酒飲んでるほうが楽しいんだもん」

「いいから次会う時までにちゃんと読んできてよね」

「オッケー。分かったよーん」

 

その男性は、連れの女性とメガネで少しふくよかな女性の店員さんに対して甘えたような声を出しました。

 

本はあまり読むほうではないけれど、それでも高校の時に太宰の有名どころは読みました。大学に入り、漱石と百閒もちらほらと読みましたが、社会人になってからは、さっぱり読むことはなくなりました。小ぶりな会社の総務部で、メンヘラ社員の相手をしたり、退職を勧奨したり、数人の新規採用の募集をかけたりするばかりでした。

 

「このBGM、なに?」

 

男が言いました。

 

「『パプリカ』のサントラ」

「ああ、アニメの? 今敏さんが監督してるやつだよね」

「そうそう」

「それって有名なの?」

「知る人ぞ知る、って感じ」

 

私は知りませんでした。今話に出ている『パプリカ』は、多分食べものではないし、色とりどりでもないし、スーパーで売られていないし、炒飯に入れて彩にすることもないでしょう。明るい調子の音楽で、お酒が心地よく回るような気がしました。

ジョッキのビールを半分ほど飲み干しました。お通しののり塩味ポテチをパリパリと食べました。窓の外の何本も絡み合って束になっている電線に、見慣れないカラスが止まっていて、カアァ、と小さく一声あげましたが、私には関係ありません。

 

「アニメとか、見る人ですか?」

 

いい具合にふくよかな店員さんが話しかけてきてくれました。膨大な時間に溺れていた大学時代に、勧められていくつかはみたけれど、面白い、以上の感想やうんちくは持ち合わせてはいませんでした。太宰や、織田作や、そういった昭和初期の作家の話の方が興味はありましたが、今更話を小説にまで戻す気はありませんでした。

 

「あんまり見ないですね。ああ、でも『まどマギ』は、観ましたよ」

「そうなんですか! あれは面白かったですよねー」

 

といってお姉さんは笑いました。

 

「あれは、最後、マドカは神になるってことなんですかね?」

「そうですね。仏教でいうところの大日如来とかが近いらしいですよ。要は凡夫が如来になる話です」

「あら、そう。キリスト教の世界観に対抗して仏教にしたのかしらね」

 

ビールを飲み干してしまうと、「きょうは久々のパプリカナイトにしましょう」といってお姉さんは店内の小さなテレビで『パプリカ』のDVDを流し始めました。

 

「つぎ、何か飲まれます?」

「そうですね、オススメはあります?」

「私のオススメは、ズブロッカですよ。好みが分かれますけど。丸々としたウォッカです」

「じゃあそれをいただきます」

 

あまりお酒は強くなかったが、これをチビチビやりながらしばらく過ごしてみようと思いました。お姉さんは、香草が中に浸かったウォッカをまずはそのまま味見させてくれました。甘く、とても強いお酒です。それからオススメの、リンゴジュースで割った飲み方を試しました。アップルパイのような味になり、私は甘党なので、美味しいと思ってしまいついつい飲むスピードが速まりました。

 

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気付くと、トイレの天井を眺めていました。

アルコールが、随分とまわってしまったようでした。

 

窓を開け、羽ばたき、夜空へ飛び立ちました。そのまま高く高く舞い上がり、新宿の街の明かりが随分と下に見えるようになったとき、原宿、渋谷の光が南に見え、そのずっと先には真っ黒な海がありました。私は、どんどんとスピードを速め、南へ向かいました。海の黒はどんどんと大きくなり、街の光は私の眼下を通り過ぎ、ついに海の上に出ました。そのまま、どもまでも、南へ南へと、私は飛び続けました。どれだけの距離を飛んのか、それでも飛び続け、風向きが変わり、疲労感を覚え始めた時、私は高度を下げ、真っ黒な海の中にある島へと降り立ちました。そしてそこに生えている数少ない木に留まり、目を閉じました。波が打ち寄せる音、風の音、木の葉が揺れ、枝がぶつかる音、そしてまた声がしました。

 

「ねえ。ねえってば」

「ん?」

「本谷由紀子の、『生きてるだけで、愛。』読んできた?」

「ああ、読んだよ。読んだ。面白いね。デカダンだね」

「もー、それ言っとけばいいと思ってるでしょー?」

 

そうい言ってコトミは頬を膨らませ、上目遣いに私を下からにらみ上げた。多少わざとらしとは思いつつ、やはり可愛らしいと思った。胸元を大きく開けた服を着ているため、上から胸元がチラチラと見えてしまう。おそらくそれも分かっていてのことだろう。

実際、本谷由紀子の小説は面白かった。面白かったが、それをそのまま言うのも癪なので、私がコトミをいつものようにはぐらかしながらなにか話をしていると、店員のユリエが話しかけてきた。

 

「そういえば、前になんか言ってましたよね、なんでしたっけ?」

「なにがだ」

「ほら、まどマギの話」

「ん? ああ、あれは、要は凡夫が如来になる話だ」

 

私が問う言うと、隣の客が、そうなんですかと言った。カアァ、と窓の外でカラスがなく声がして、私は目を閉じ、風の音を感じた。

 

 

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生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

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