ニッポンたのしい。

楽しそうなことを求めて日々右往左往するさまを無様に綴ります。

『ヨルタモリ』が放送終了しようが一向に構わない

私はタモリ・フリーク

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トピック「ヨルタモリ」について

「ヨルタモリ」が終わることが旬のトピックに上がっていたので、タモリ・フリークの血が騒ぐので何か書いてみようと思う。私にしてみれば、「ヨルタモリ」ぐらい終わったたところで全然かまわない。むしろ、どんどん終わってしまえとすら思います。

 

私は新宿界隈をウロウロとすることが多いので、アルタ前を通るたび、タモさんのことを思い出し、その足で『どん底』や『ゴールデン街』に赴く都度、ここでタモさんは赤塚不二夫と邂逅し、飲み明かしたのだなあ、と思いを馳せます。

そんな中、タモさんの昼のお仕事である『イイとも』が終わり、昨年『ヨルタモリ』が始まった。昼ではなくて、ヨルのタモリ。つまり、タモさんにやりたいようにやらせるハコを作ってみましたよ、というフジテレビの粋な計らいだ。

 

 

セッションしてこそのタモリ

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先だって、四谷の居酒屋で飲んでいると、「若いころゴールデン街タモリにビール奢ってやったことがある」とおっしゃる70前後の紳士とカウンターで相席をした。「若いころはあいつは、イグアナだの、ハゲタカだのをやってたんだ。あれはな、素面で見るもんじゃねんだ。酒飲みながらその場で観るのがいいんだ」とのこと。

 

『ヨルタモリ』内で、「ジャズな人」という言葉が出てきた。わざわざ言葉に出すぐらいなので、恐らくタモさん自身もその「ジャズな人」たろうとしている、または、「オレはジャズな人が向いている」、「オレってば、ジャズだなぁ」なんて思っているのではないか。 

 

タモさんが何故ステキかと考える、要は、タモリさんの面白さはジャズのセッションに似ている。四谷の紳士のエピソードにしてもしかりだが、狭いハコで、同じ匂いを嗅ぎ同じ空気を吸う、その空間の一体感、ライブ感、そして、その場その場で状況に応じて当意即妙に手持ちの芸を繰り出す即興性。要は、ジャズのセッションを楽しむ感覚だ。

 

 

タモリの美味しい食べ方

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(※写真はタモリの煮つけ。セトダイの別名らしい)

 

タモリは、本来「イイとも」のように固めたマンネリの世界感を通して観るものではない。それでも見れてしまうのはタモリが単にすごいだけの話であって、本当のタモリのうまさはそこではない。

 

自ら釣った最高に新鮮な魚は煮物でももちろんスーパーの魚よりは美味しいが、折角なら刺身で食べた方が美味しいにきまってる。タモリの調理法は本来的には「ヨルタモリ」のようなものであるべきだ。

 

 

鮮度があるうちに

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「ヨルタモリ」9月いっぱいで終了 契約1年…惜しまれつつ (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

 

 記事によると、「実験的な番組内容からすると鮮度があるうちに惜しまれながらピリオドを打つことが望ましい」とのことらしい。しかしこれはタモリの調理法から考えると根本的に考え方が間違っている。

 

私はこの、実験的、という部分が気に食わない。実験は,上手くいけばそれを製品として量産することが前提となっている。(もちろん、テレビ局側としては安定収入のためコンテンツの安定した量産したいのはやまやまなのでしょうが。)

 

しかし、鮮度、に関してはまっことその通りだと思う。『久保能町のANN』なんかを時折聞いている中で、「盛り上がらない回もある」とのこと。陽水とのダブルサングラスを2回目に見た時点で私はなんだか満足してしまった感があったのですが、現場の空気はどんなものだったのでしょう。

 

ゲスト以外のメンバーで内輪の雰囲気を作りつつ、そこに如何にゲストが馴染んでいく中でセッションをしていくか、というのがあの番組の面白味でありました。あの一種独特な空気を「クッダラネー!」と心から楽しめるゲスト、または、その困っているゲストの姿を見て「この人困ってる困ってるww」とタモさんが変な気を遣わずに楽しめるだけの、可愛げのある・懐の大きな有名どころのゲストはもうそんなにはいないのかもしれません。

 

ここで無理をして番組を続けることは愚行でしょう。それは陳腐化・マンネリ化につながります。タモリは鮮度が命です。

 

 

『ヨルタモリ』が放送終了しようが、私は一向に構わない

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タモリは鮮度が命である。ある程度の短なスパンでハコを変えてやるのが鮮度を保つためには重要である。枠組みやハコにとらわれ、居付きすぎると軽やかさが失われる。当意即妙さが失われるかもしれない。どっしり腰を据え、大ナタを振り回すのではなく、宮本武蔵よろしく、あくまでも脱力して構えてこそのタモさんであろう。

 

したがって、ファンの側としては、過去を番組を惜しむのではなく、新しいセッションが見れる未来を楽しみにするのがタモリの正しい味わい方の一つだと私は思う。

 

次はどんなハコで、どんなセッションが聴けるのだろうか、観れるのだろうか、ファンの側でそういった楽み方をさせてくれるのもタモさんのステキなところだと私は思う。

 

そうしたところで結論を申し上げると、

私は『ヨルタモリ』の放送が終了しようが私は一向に構わない。ただ次のセッションが楽しみになるだけだ。

 

 

新しい切り口のタモさんがまた見れるのが楽しみです。大丈夫。あの人が、このままジッとしているはずはありません。どうせまた昵懇のプロデューサーと組んでなんかよからぬことを企んでるに違いありません。

 

 

おまけ

セッションだの、ライブだの、なんてことを述べてきましたが、私が「最高!」と思ったタモさんのセッションがあったので、ご紹介します。

皮肉にも、ハコものの極地でもある『イイとも』のテレフォンショッキングでの陽水とのコーヒールンバ漫談です。タモさんが突込みに回っているのもなんとも面白い。

共に福岡出身と言うことでプライベートでも仲が良いそうです。3分のところの息の合った瞬間なんてたまりません。これを生で、どこぞのバーみたいな小さなハコで観れたりなんかしたら、最高の気分でお酒が飲めそうです。

 

痺れるねぇ。

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