ニッポンたのしい。

楽しそうなことを求めて日々右往左往するさまを無様に綴ります。

食い道楽とは、なんぞや。 ~食道楽帖その1~

北大路魯山人のエッセイが、何度読んでも面白い。

一見すると読ませる気のない力の抜けた文章がまたいい味を出している。

食道楽について、私も書いてみたいと思った。

 

北大路魯山人: 120話すべて収録+綺麗な写真と読む

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 まず、道楽とは、道に楽しむ、とある。

 大体に、楽しんでいなくてはならないから、日々の生活の糧のため、などと眉間に皺寄せた時点でそれは道楽ではない。しかしこれは、額に汗して本気で遊んではいけないという法ではない。必死で楽しむ分には構わない。

 定義は難しいが、少なくともそれでお金を稼ごうとか、それで食費を浮かそうとか、そうしたあわよくば口に糊をする一環にならまいかというさもしい金勘定が絡まなければ、道楽の一端を担うこととなるのだろう。切りがないので一旦そう定義する。鰤のつまりが、諸賢におかれては、道楽とはビジネスの対義語と捉えていただきたい。道楽は一切の見返りを求めない。

 私に道楽は数あれど、最も高い比重で嗜むこととなっているのが食道楽(くいどうらく)である。

 ダイビング道楽は先般、石垣の海を潜ってすぐに飛行機に乗ったから潜水病になり今シーズンはすっかり意気消沈してしまった。武道楽においては、すでに二段まで取った身としては、必死すぎてちっとも楽しくない。負けたら今までの稽古や努力が灰燼に帰すという恐怖に苛まれ、怖くて怖くて稽古に真剣味が増してしまう。楽しくない。楽しくないのなら最初からしなければよかったと思わなくもないが、ちょっと筋肉もついて痩せるし、多少なりともいざという時便利かもしれないから良しとすることにする。武道とは、軍隊とか保険とか宝クジと似たもので、めったに発露する機会はないけれど、一度ことが起こると大変に重宝する代物である。もし本当に喧嘩になったら相手に砂でも投げて一目散に逃げようと思う。

 釣り道楽は前回仲間を大勢引き連れて釣行したが、私にだけ一匹も釣れなかったからもう辞めた。山登り道楽は、奥多摩でクマが出たという話をきいてから怖くて最近すっかりご無沙汰である。

 

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 かくして残ったのがこの食道楽で、日に三度お腹が、やれ食えさあ食え、とのたまうのでどのみち何かを食べることになる。どうせ食べるのなら美味しいの食べたいね、と考えるのは世の摂理。また、とりわけ私の場合、自分で料理をするためついつい凝ってしまう傾向にある。

 私が料理を始めたのは、母の料理が気に食わなかったというのが原因にある。母の料理はなんでも硬くなるまで火を通してしまう癖があり、その上毎回味付けは異なった。ときに極端に甘く、そしてときに味はない。しかし、たまに私が台所に立って私で料理をしようとすると、邪魔だといって母は私を止めだてをする。おそらく私にお株を奪われるのが怖いのだろう。

 実際に、私は大学生となって一人暮らしを始めると同時に料理に勤しみ始めた。するとどうだろう、やはり自分でする方が美味しかった。そして楽しかった。もはや母の手料理なぞいらぬ、とふんぞり返りたいような気もするけれど、たまに実家に帰ると自分の手を煩わせずともそこそこの料理が出てくるのに味をしめ、まだあまりふんぞってはいない。改めて味わってみるに、母は時折ものすごく絶妙な味付けの料理を出すのであなどることはできなかった。しかし、母の残念な点は、そのときの絶妙な配合を二度と再現できない点にある。母はメモを取らない人だった。そうした不安定な味と何が出てくるかわからないワクワク感が懐かしく、そういう独自の料理体系としての趣もなくはないと思うに至った。

 

 閑話休題

 

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 私は食道楽にのめり込んだ。

 自分で料理をすればこそ、出てきた料理が如何に絶妙で、如何に手間がかかっているのかが分かる。それまでは季節に関し、夏だろうと冬だろうと、今日は暑いから夏で、寒いから冬かもしれない、ぐらいの認識でしかなかった。ところが料理をたしなむようになってから、四季折々の幸が気になり、道を歩いてはよその軒先からぶら下がる甘柿や渋柿の食べごろを毎日観察するようになった。

 

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 道楽は、人を変える。また、人が変わるぐらいでなければ、それは道楽とは呼ばれない。人はどんどんと変わるから面白く、道楽を知らぬ人、何もしなくてもオンリーワン、などと考える人は無味無臭で味気ない。道楽は生きる意味といって過言はない。

 冒頭で、道楽は見返りを求めないと書いた。それを人は「愛」と呼ぶ。愛は見返りを求めない。そこに見返りを求めた場合に、愛は欲望へと姿を変える。私は北大路魯山人のエッセイの、プンと匂い立つほどの食への愛に絆された。ここからしばらく、私も、食への幾つかの偏愛を、記してみようと思う。

 

魯山人と星岡茶寮の料理

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