ニッポンたのしい。

楽しそうなことを求めて日々右往左往するさまを無様に綴ります。

至福のポークジンジャー定食 ~食い道楽帖その2~

【ポークジンジャー定食】

 

 これは、美味かった。私が東京に来て食べたもので最初に感動を覚えたのがこの、四谷の名店、『エリーゼ』のポークジンジャー定食であった。

 

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 四谷にあるしんみち通りの入り口右手には、かつて『エリーゼ』という洋食屋があった。わたしはそこの大きなポークジンジャー定食がひどく気に入り、当時の彼女とよく食べに行ったものだった。

 最後の頃は、どことなくタヌキめいた店員さんに、私と彼女と二人して顔を覚えられてしまったのが嬉しいやら恥ずかしいやら、と思ったことを覚えている。その彼女は、背は低いのに、私でもお腹が少し張る程の『大きなポークジンジャー定食』をペロリと平らげ、なんとも頼もしいと嬉しくなったりしたものだった。何故ブクブクと腹が太らないのか不思議であった。そのタヌキめいた店員さんは、私たちがポークジンジャーを頼むと、「『大きな』にしますか?」とわざわざ聞いてくれるのだ。二人とも大食いであることがばれているのであった。
 ピリリと生姜が、ジンジャーが効いているので堪らなく美味しかった。お店で使われる生の生姜と、家庭で使う貧相なチューブから絞り出されるそれとで、こうも味は違うものかと驚かされる。私が慣れ親しんだ母の生姜焼きなど生姜の味はせず、甘いだけでその上硬い。

 

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 しかし、嗚呼なんておいしいんだポークジンジャーほんとうにねおいしいねまた食べたいわ食べようね、などという甘い日々は長くは続かなかった。
 それは青天の霹靂だった。よもやこんなことがあるのだな、と私はしばししんみちの入り口の、よくこそしんみち通りへ、と書かれたポールの下で立ち尽くした。お店の屋号が変わっていたのだ。さらにメニューは一新され、我が愛しのポークジンジャーは忽然と姿を消していた。もう二度とあの味わいが私の舌上で踊ることはないのであった。そしてよくエリーゼに一緒に行った彼女ともいろいろあって別れてしまった。
 彼女と別れた日、私は夢を見た。理由はわからないが、とにかく一晩中、ポークジンジャーとフラメンコを踊る夢だった。彼女は黄色いドレスを舞台に閃かせつつ、饒舌にステップを踏んでいた。 私はしばらくお店から遠ざかった。

 

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 季節は流れ、夏が来て、秋になり冬となり、また春が来て、なんとなくサークル活動に本腰を入れ始めたころだった。学科のお勉強に身が入らなくなり、当時はひどく夜型の生活をしていたように思う。
 そんなあるとき、タモリ倶楽部を見るともなしに見ていると、タモさんが、生姜焼きを作っていた。先にフライパンで玉葱だけを炒めておいて、そこへ小麦粉をまぶしたポークを投入し、火が通りかけたところで酒、醤油、味醂で作ったタレへ生の生姜をすりおろして味を整え、それをフライパンへ投入し、少し煮立てていた。生姜焼きとは、豚肉を醤油などでつけ込むものだとばかり思っていたので驚いた。しかし我が敬愛するタモさんのお料理とあらば試して見る他はないわけで、私は早速、近所の丸正へ自転車を飛ばし、生姜と、エリーゼよろしく厚めのポークを手に入れて、ニヤニヤと家路を急いだ。帰宅し、早速私はエリーゼの味をなんども脳内にリフレインさせつつ、調味料の調合を行った。さんざ試した結果、酒1、醤油2、味醂2が近いんじゃないのかなあ、と私のゴーストが囁くのでそれに従うことにした。
 配合が完了したところで早速玉ねぎを炒め、それから小麦粉でお化粧をした岩手のポークをフライパンへ。

 ジュー、と小気味好い音をがして、それから、キュッ、とポークがフライパンの上で小さく鳴いた。命を頂く有り難さ、タモさんのご助言の尊さ、岩手の大地の恵みを受けて育った豚さんの、遠路遥々我が手元に至るまでの数奇な縁を噛み締めた。汁を投入し、ワッと煮立て、頃合でまん丸なお皿に移し、ナイフとフォークで食べやすい大きさに切り、体裁を整えた。
 タモさんと我がゴーストによる合作が、眼前にあり、今や幻となったポークジンジャーを再び産み出したのだ。神への冒涜にも似た、言いようのない不安と恍惚が私を支配した。

 

 そして徐にポークジンジャーを、口中へ放り込み、噛み締めると、そこは、果たして、エリーゼであった。

 

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