ニッポンたのしい。

楽しそうなことを求めて日々右往左往するさまを無様に綴ります。

京懐石の八寸の、黒豆とへしこ寿司。 ~食い道楽帖その6~

八寸を肴に飲む日本酒は至上である。

 

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 京都は木屋町に「はっすんば」というお店があり、ずいぶんと楽しく美味しく飲んだのを覚えている。懐石の「八寸」を作るがための場所、なんてことを言いたかったのであろう。古代米を使った「伊根満開」を美味しくいただいた。赤く色付いた随分と美味しいお酒であった。

 木屋町は非常な風情がある。その風情に酔っぱらい、その辺りで単にすましているだけで、自分たちが、匂い立つようないい女、水も滴るいい男についつい思えてしまう。

 

 さて、「八寸」というのは懐石料理で端出てくる酒の肴たちのことで、これを見栄え良く八寸の盆に盛りつけるのでそう言うのであろう。ちなみに一寸は3.03センチ、八寸は約24.2センチである。

 この八寸、最近は端(はな)出てくることが多い。出会い頭に出される点からいっても、出す側としても自然と気合いが入ることになる。

 人も料理も第一印象で九割が決まる。これが悪いと、後々どんな洒落た噺をしようとも、絶品料理を出そうとも結局はお話にならないわけである。これは世間の暗黙の了解であり、むしろこの了解すら心得ない輩はあまりあてにならない。世は出会い頭の瞬間勝負が全てなのである。

 

 閑話休題

 

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 八寸は、酒の肴であるがため、少し濃い味付になっている。また、一口で食べやすくい大きさになっている。この八寸の手の混みようと、お酒との相性をまずは楽しむべきである。むしろここが一番の楽しみと言って良い。ここでホロホロと上手く酔えれば、後は多少しくじりがあろうとも笑って許せる。

 むしろ酔い気味の良さにかまけて気づきすらしないかもしれない。逆に、ここで上手に飲めない場合は、料理の粗探しが始まりかねないだろう。

  八寸で、最も印象に残っているのが、神楽坂で食べたなれ鮨と、京都の菊の井で食べた黒豆である。なれ鮨は、上に乗った小さな魚の旨味が口一杯に広がり、且つ、舎利の固過ぎず柔らか過ぎずの頃具合が絶妙で、乳酸発酵による適度な酸味と、甘めの吟醸酒の杯が進むのが止まらなかった。

 京の黒豆は、おそらく丹波ものだと思われたが、大きな器の中に寿司と揚げ物とだし巻きの脇に、銀杏と並んで添えられていた。まず銀杏をいただき、次にいただくのは黒豆さんと相成ったが、これが柔過ぎず固過ぎず繊細微妙な炊き具合であり、噛むでもなく舌で転がすでもなくするうちに内に、スルスルと口中でこなれていって味わいが一杯に広がった。こちらは辛口の酒に良く合った。この時は後輩や、留学生と旅行の最中であっため、先輩としての面目が躍如となり、満天下に対し鼻高々であった。幸せな思い出である。

 

 

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 八寸には様々な思い出が絡まっていて、こうして考えるだけ芋づるのように記憶が掘り起こされる。諸賢もぜひ、様々な八寸と組んず解れつするのが良いと思う。最高の八寸との出会いもまた、人生の冥利の一つである。